猿倉人形芝居

2010/2/14 20:11 投稿者:  管理人
 猿倉人形芝居は、明治時代に同市の池田与八(吉田若丸)が江戸時代から続く文楽などの人形芸を基礎に、独自の工夫を加えて創案した人形芝居です。かつては秋田人形、与八の出身地から百宅人形、活動写真の人形に対して活動人形とも呼ばれましたが、現在の名称は与八の弟子で活発な活動をおこなった真坂藤吉(吉田勝若)の出身地である猿倉に由来します。
 
明治から昭和初期には全国各地で興行し、満州や樺太までも巡業しました。神社やお寺の祭典、農村では民家の座敷とどこでも行えるため、大衆娯楽として大変な人気を博しました。
 藤吉には弟子がおり、吉田千代勝一座(北秋田市)、鈴木栄太郎一座(羽後町)、木内勇吉一座(由利本荘市)の3座は昭和49年に秋田県無形民俗文化財に指定され、現在も継承しています。
猿倉人形芝居
猿倉人形芝居